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monet

「春」 Springtime
1886年 Fitzwilliam 美術館 ケンブリッジ、英国

作家の死後、美術館のコレクションとして飾られた最初の絵。フランスはジヴェルニのあるモネの果樹園で描かれた。木の下にはモネの息子ジーンが左、そして義理の娘スザンナが右に座っている。それまでの伝統的な滑らかに描く画法とは全く異なる印象派のタッチで仕上げられている典型的な作品。モネは語る「絵を描く時は対象物がなんであれ、それが木であろうが家であろうが、風景であろうが、そのことを忘れるように。ただ単に、何色の印象を受けたか、それだけだ。それを素直にキャンパスに表現すればいい。」

アルジャントゥイユのひなげし (Coquelicots à Argenteuil)
1873年 オルセー美術館(パリ)

印象派最大の巨匠クロード・モネ1870年代を代表する作品のひとつ『アルジャントゥイユのひなげし』。パリ北西、セーヌ川右岸の街、アルジャントゥイユ郊外の坂道を日傘を差した母娘らが下ってくる姿を描いた作品である。画面左部分から画面右下部へと引かれる微かな筋道を通り、一組の母子がひなげしが咲く丘を下っている。この薄青色の裏地の日傘を手にした母と、ひなげしを持つ子は、画家の妻であるカミーユと息子ジャンをモデルに描かれた。ほぼ中央から上下に分けられる本画面は、上部が空の青色と雲の白色が、下部がひなげしの赤色と叢の緑黄色がほぼ全面的に支配している。特にひなげしの赤色と空の青色との鮮明な対比関係は観る者に爽快感と強い印象を与えているほか、白色、緑黄色を的確に配置することによって、それらをより効果的に引き立たせている。さらに ほぼ水平に背の高い木々や一軒の家屋を連ねて、ほぼ水平線上へ描くことで上下が分離し過ぎず、画面内に統一感を持たせているのである。

 

印象 -日の出- (Impression, soleil levant)
1872年 マルモッタン美術館(パリ)

印象派の名称の由来となった、巨匠クロード・モネが手がけた最も有名な作品のひとつ『印象 -日の出-』。当初『日の出』のみの名称で出品されていたが、名称が短すぎるとの指摘を受けて、画家自らが前部に≪印象≫と付け加えた本作は、画家の最も特徴的な手法である筆触分割(色彩分割とも呼ばれ、細く小さな筆勢によって絵具本来の質感を生かした描写技法)を用いて描かれた。

しかし、当時の批評家ルイ・ルロワには「印象?確かに私もそう感じるが、この絵には印象しかない。まだ描きかけの海景画の方がマシだ」と本作を嘲笑する記事を諷刺新聞に寄稿された。この記事によって反伝統のバティニョール派が開催した独立展覧会に出典した画家ら(モネ、ルノワール、エドガー・ドガ、カミーユ・ピサロ、ギヨマン、ベルト・モリゾ、セザンヌ、シスレーなど)が印象派と呼称されるようになった。

本風景の海面、船舶、船の漕ぎ手、煙、そして太陽などの構成要素は筆触分割によって形状や質感の正確性・再現性は失っているものの、大気の揺らぎや、刻々と変化する海面とそこに反射する陽の光の移ろい、陽光による自然界での微妙な色彩の変化など、観る者が受ける風景の印象は、それまでの伝統主義とは決定的に異なるものであった。

睡蓮の池と緑の調和(太鼓橋)  1900年 オルセー美術館(パリ)

「光の画家」と呼ばれるクロード・モネは晩年になり、同じモチーフを異なった時間、異なった光線の下で描いた連作を数多く描いた。中でも自身の家の庭を描いた連作 "睡蓮"は、氏の作品の代名詞といえるほど有名で、1900年前後から亡くなる1926年の間はほとんどその研究に没頭し、200点以上の作品を残した。

モネは、「花があるから自分は画家になれた」、「画家になっていなかったら、庭師になっていた」というくらい花を愛し、丁寧に栽培していたらしい。作品に描かれている橋は、葛飾北斎の富嶽百景の橋を模して作られているといわれる。

本作以外にもモネは、ほぼ同一の展開によるボストン美術館の『睡蓮の池』や構図は同一ながら描かれた時間が異なるオルセー美術館の『睡蓮の池、バラの調和』、やや縦長の画面によるメトロポリタン美術館所蔵の『睡蓮の池』など同一の画題を扱った作品が数多く手がけている。なおモネは本作品群の制作から約20年後、白内障により視力を失いながらも、『日本風太鼓橋』としてこの太鼓橋を再度描いている。